Jan 01, 2010

レーザー脱毛で大満足

やはり身体に私は、ムダ毛は非常に厄介なことですね。途中で処理していてもなかなか綺麗にできず、いつまで経っても、脱毛の姿に満足できない人でしたね。しかし、今はレーザー脱毛のため、毛損失の処置もきちんと満足ですね。体のムダ毛を本当にきれいに処理できるので、レーザー脱毛は大満足です。
私は永久脱毛を始め、来年2月の1年が経ちました。永久脱毛とは本当に一生はえてこない。疑問に思いながら始めました。私は3年12回コースだが、今4回目が終了しました。まだ4つ目の効果は出ていないが、3番目までの効果は驚くほどされています。施術1〜2週間で毛が抜け始めています。 1回の除毛したが、では、他のはえてこないし他の場所で今ではえていますが、徐々に薄くなってきています。
 仏さんって怪しい!? おなかが結構ぽっこり出ているし、頭が2段になっていたりとか。おまけに性別も不明…。だが、ほとんどの人はこれを自然に受け入れている。それどころか、その肥満体質に魅せられて追っかけをやっている人も多い。なぜ? 仏像追っかけ歴40年の記者が、企画で取り上げた中四国の仏像を紹介しながら、その謎を解明していく。(園田和洋)

 【雪蹊(せっけい)寺/高知市】鎌倉時代の大仏師・運慶の長男、湛慶(たんけい)の作で名高い毘沙門天立像。国重文。本堂の裏手にある霊宝殿に収められている毘沙門天さんは、中央にある薬師三尊像(国重文、鎌倉時代)の左脇に置かれていた。

 こちらも、右手前に吉祥天、左手前には善膩師(ぜんにし)童子が置かれた三尊で構成されて、いずれも湛慶の作とされている。毘沙門天像の大きさは166・5センチと等身大。

 湛慶作といえば、京都・三十三間堂の本尊・十一面千手観音坐像が有名だが、以外に作例は少ない。父、運慶作の毘沙門天像は厳しさを前面に押し出す一方で、湛慶はどちらかといえば穏やかなムード。

 善膩師童子はその穏やかさと造形がピッタリと一致した作品で仏像ファンの中でも人気の高い逸品。京都・栂尾(とがのお)の高山寺にある、運慶作といわれる子犬像も本来は湛慶作とみられているだけに、両寺院で比較するのも一興でしょう。

 【竹林寺/高知市】つぐづく高知にある仏像のレベルの高さには驚いた。雪蹊寺につづいて竹林寺で拝観した仏さんのうち20体近くが国重文という。特に目を引いたのが、秘仏・文殊菩薩が乗る獅子台座だ。

 どうですかこの形。獅子に見えますか? 「うちの家の飼い犬の方がふさわしい」などと、お思いの人もいらっしゃるんじゃないですか。そうなんですが、そうでもないんです。

 獅子とはいっても空想の動物。秘仏の本尊が造られた平安時代は、現在のようにたけだけしい形が確立していないため、何を参考に造ったのかわからないが、まあ作者の頭の中で思い描いた姿、形はこんなものだったんだろうとしかいいようがありません。

 文殊さんの4体の従者のうち、須菩提尊者像も同時期の作。いかにも地方作らしい、かわいらしくほのぼのとした像だ。この頃の京都は、貴族風の洗練された作品で充満しているだけに、逆にこんな仏さんを拝める機会はあまりない。

 鎌倉時代に造られた愛染明王坐像も怒ってはいるものの、愛のキューピッドらしい、どこか憎めない顔をしていて、癒されます。

 それにしても、ここの獅子って、どこかカメレオンに似てません。平安時代にカメレオンなんて、ねぇ。

 【正花(しょうけい)寺/高松市】正花寺・聖観音菩薩立像。この仏さんをご存じの方は相当の仏像マニアでしょう。

 筆者が大学時代、特に興味を持ったのが奈良時代末から平安時代初期にかけて流行した貞観仏。「仏像は美しいもの」という概念をメチャメチャに打ち砕いてくれたのがこの時代の仏さんだった。

 下ぶくれの顔、肥満した体、極端に太い太もも。バランス・規格を重視した奈良時代の仏に対し、一部を誇張させた強烈な造形。決して美しいといえるものではないが、ギラギラした大陸の匂いにどこかひきつけられる。代表格が唐僧の鑑真が中国大陸から連れてきた仏師が制作した奈良・唐招提寺の仏像群。

 そのひとつ、衆宝王菩薩を参考に日本の仏師が平安時代初期に制作したのが正花寺像。唐招提寺像のようにギラギラした熱は感じられないが、まさに1本の木から生み出された純木彫仏の歴史がこの時期から始まる。

 仏像は、飛鳥時代の法隆寺釈迦三尊像のように金銅像に始まり、奈良時代には粘土の塑像(そぞう)や漆、麻の乾漆(かんしつ)像が流行した。しかし費用、保存の問題からすぐに廃れ、奈良時代末からは国内に豊富な木材の像がとってかわり、木に対する信仰心の厚い国だけに、たちまち主流となっていく。

 【庄薬師堂/松山市】庄薬師堂の木彫菩薩立像も木彫が始められてすぐに制作された仏像のひとつ。高さが2メートル以上ある巨像。正花寺の像とは違い、天平仏といわれる奈良時代前期に流行した仏像の流れを引き継ぐ。バランスのとれた造形。衣装から胸飾りまでオール天平といってもおかくしない。

 話はそれるが、天平時代の仏像制作は分業制度が確立していた。例えば、木を彫る人、漆を盛る人、色を塗る人といった具合に。

 奈良時代、木心乾漆像といって木であらかじめ仏像の形を彫り、細かいところは漆を盛って形成する方法があった。そんな中、あらかじめ木で彫っていた人が木彫の流行とともに独立して、このような像を造った可能性もあるだろう。

 【光徳院/高松市】庄薬師堂から徒歩数十分、小高い丘上に立つ寺院。堂の中央に置かれた菩薩立像は貞観仏といっても10世紀に入った晩年期に造られている。

 脚部に衣文の流れが大波と小波が交互にくる翻波式が見られるものの、形式的な感じは否めない。とはいえ、ノミさばきは鋭く、繊細な衣文の流れがこの像の特徴。この洗練された造形美は魅力的です。

 一方、菩薩立像の左脇に置かれた阿弥陀如来像は10世紀に入って間もない像だが、正面から見ると、ボテッとした顔つきといい、量感のある体つきといい、張った太ももといい、貞観っぽい特徴が随所に見られた。

 だが、側面を見て、意外に像に厚みがないのは驚いた。太ももの所で波紋を描いたような衣文が、この場合はマジックになっていたように思う。これはこれで見事な技です。

 【井戸寺/徳島市】好みというものは恐ろしいもので、筆者が貞観仏好きなものだから自然と貞観仏の紹介がメーンになる。こちらも貞観仏。井戸寺の十一面観音立像は奥深い表情をしている。下あごと唇を突き出したような表情は、全国どこを探してもないだろう。

 不満を持っているようでもあり、ちょっぴり笑っているようにも見え、どこか余裕が感じられる。「お前なぁ」と参拝者を呼び止めているようでもある。

 で、この表情は失敗作ですか? さにあらず。三尊が写ったを見てほしい。全体的に見て、高い技術力を持った仏師であることがわかる。となると、確信犯なのだ。

 十一面観音の手前の日光(右)、月光(左)量菩薩もなかなのもの。月光さんは平安後期で、日光さんはそれよりもやや古い感じがする。

 【古保利薬師堂/広島県北広島町】うーんこれも貞観仏。広島市から高速バスに乗って約40分。北広島町の小高い丘に堂はある。薬師如来坐像はどしっとした重量感があり、押し出しの強いところがこの時代の魅力だろう。両手は後補だが、この時代の手は大きめに造られる傾向にあるので、そんなに違和感はない。

 頭の中央に飛び出たタンコブのようなものは肉髻(にっけい)といわれ、智恵の深さを表している。眉間のガラスは白毫(びゃくごう)といわれる白い巻き毛を表し、ここからウルトラマンのように慈悲の光線を出す。このほか、手と指の指の間には、人々の願いを漏らさない水かきのような縵網相(まんもうそう)がある。以上は主に如来さんの特徴だが、この薬師さんにもあるのでよくご覧あれ。

 千手観音立像は貞観仏とはいえ、薬師さんよりも天平時代の色が強い。木彫仏が出てきたころの奈良・大安寺をほうふつさせる優品。ここは島根県境近くの、結構山深い山間地であり、なぜこのような所にこのような仏さんがあるのか。それ自体が疑問である。山岳仏教が栄えたころでもあり、何かそれと関わりがあるのだろうか。

 【誕生寺/岡山県久米南町】こういった仏像はおそらく皆さんの町にもあるかもしれません。清凉寺式釈迦如来立像。10世紀、東大寺の僧、●(=大の下に周の旧字体)然が宋の国から持って帰った生身のお釈迦さんの模刻像が京都・嵯峨の清凉寺にあることからこの名を持つ。

 さらに清凉寺式のお釈迦さんのコピーが平安時代末期以降、全国的に造られるようになり、100以上はあるといわれている。この誕生寺像もそのひとつとみられる。縄目のへアスタイルに今の衣服にも通じる通肩の衲衣(のうえ)にU字型衣文など一般の如来さんとはちょっと姿、形が違う。

 ただし顔は、異国人そのものの清凉寺のお釈迦さんに比べ、誕生寺の方が頬がふっくらとした、日本人好みに変身していることは言うまでもない。

 ※今回、紹介した仏像はすべて一般に公開しているわけではありません
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