Sep 19, 2010
電話代行の利便性と関連の危うさ
電話代行会社をざっとインターネットで検索しただけでも山ほど出てきます。人手が不足している中小企業が顧客へのサービス向上を目的とするための電話代行を依頼する場合、問題はないが。しかし、例えば、詐欺まがい業者が相手を信用させるために、電話代行を利用すると、関連の電話代行業者につきましては責任がないのでしょうか?疑問が残っています。コールセンターの仕事に私が知っている内容は、電話オペレーターとの電話の約束です。その中でも経験があるのは、電話番号案内仕事とIP電話をお勧めします。番号案内は、相手が教えてくれと言ったの番号を確認するが、様々な地域の人と話をしなければならなかったので、言葉が聞き取りにくく、また、名称も問題があるかに大変でした。また、悪用電話もたくさん怖い感じもあります。 IP電話勧誘は、迅速に、勧誘をたくさんできるとしたが、毎回出勤するたびに、説明書が渡されます。勧誘件数が多い人の話し方口を真似しましょうという感じです。自分の言葉で話したのが良かったのでそのような印刷は、参考程度にしています。コールセンターの仕事もたくさんありますが、相手が見えないだけに割り切ることも重要かもしれません。
お好み焼きチェーン「千房」の社長を務める傍ら、自身の体験に基づいた人情味あふれる講演活動や、上方の演芸文化の振興にも精力的に取り組んでいる。「悔いのない生き方をしてきた。だから、これまでも、そしてこれからも人生は面白い」と言い切るナニワの名物社長。励ましとねぎらいを込めた「できるやんか!」の精神は、衰えを知らない。(聞き手 西村力)
−−まず「お好み焼き」との出合いを
中井 義兄のレストランを手伝っていたころ、義兄から、大阪の長居で保証金のいらないお年寄り夫婦が営んでいたお好み焼き店を経営してみないかと勧められたのが、きっかけでした。6年後、あちらの事情があって店を出なければならなくなり、どうせ移るならと、あこがれの千日前に出店しました。
−−資金はどうされたのですか
中井 取引のあった信用組合から3000万円借りました。それも無担保だったんです。
−−失礼ながら、よく融資してくださいましたね
中井 そうですわ。当時の理事長が、丁稚奉公時代からつけていた私の金銭出納簿をたまたま見て、拾ったお金も記入していることなどに感心され、家族のことも知ってた関係もあって、私を担保に融資してくださったんです。
−−それにしても大きな借金。その後の経営はうまくいきましたか
中井 残念なことに客が入らなかったんです。主婦がトイレットペーパーを買い求める騒動もあった第1次オイルショックの時代。仕事に没頭し、不況だったことを知らなかったんですね。私は内部要因が原因と考え、「2回来店していただくためには」を、従業員ともども考えました。
−−いい知恵は浮かびましたか
中井 たまたま新聞記事で神社の絵馬の写真に目がとまりました。「そうだ。店で絵馬を出そう」。当たったんですね。ちょうど受験シーズン。繁華街にもかかわらず、合格祈願や恋愛祈願で大好評。子供さんが合格された方らがリピーターで訪れてくださったんです。恵まれない子供たちのために協力させていただいた募金活動もお客様の理解が得られました。
−−まずは順調なスタートだったようですが、ご家族は
中井 完璧にほったらかしでしたね。子供から家族旅行したことないねって言われたんです。沖縄や北海道にも連れていったやないかと思いましたが、みんな会社の慰安旅行だったんですね。それでもみんなスクスク育ちました。女房は偉かった。
−−その後は、いよいよ全国展開へということですか
中井 初出店は静岡でした。一番信頼している社員を店長に送り込みました。現地に行って安心しましたね。「大阪には戻れない」といった決意の張り紙があちこちに張ってあったんです。店長に売り上げ目標を達成したら、欲しいもの買うたると約束。もちろん達成。開店当日、みんなの前で「おめでとう。全自動洗濯機を寮に贈ります」と伝えました。その後、北海道、九州へと出店していきました。
−−順調そのものですね
中井 いろいろ苦境もありましたが、人の縁に恵まれたんですね。その人たちの意見を誠実に実行しました。よくいうでしょう。親のいうことはきかんけど、近所のおっちゃんの意見は素直に聞く、聞ける。みなさんの手柄と感謝しています。
−−それも培ってきた信用の積み重ねなんでしょうね
中井 信用される分、「頑張らな」と思うでしょう。人間って欠けているからこそ、伸びるんです。
【プロフィル】中井政嗣 なかい・まさつぐ 昭和20年、奈良県生まれ。中学卒業後、兵庫県尼崎市の乾物屋で丁稚奉公。その後、義兄のレストランで修業を積み、昭和48年にお好み焼き専門店「千房」を開業。現在、フランチャイズ店を含め国内外64店を展開している。年商約50億円、従業員数約600人。著書に「できるやんか!」。
大阪ガスの野村明雄相談役は「仕事は自分の人生の大事な一部、楽しくなければ生涯の損」と語る。家に仕事を持ち帰らず、アフター5は「ひとりひそかに、飲み屋やジャズライブに通う日も多かった」と笑う。自称“妖しい趣味人”の野村氏が約20年前に出合ったのが江戸川柳だ。
江戸時代、文人から庶民まで幅広く愛好された江戸川柳の特徴は、うがちと滑稽(こっけい)味にある。約20万ともいわれる句には「泣く泣くも 良い方を取る形見分け」「役人の子はにぎにぎをよく覚え」など、人情の機微や人々の立ち居振る舞いのおかしさなどが描かれている。
知人の勧めで江戸川柳に触れるうち、庶民の知恵、文化度の高さに驚くとともに、「当時の空気や人情味が伝わってくる面白さ」のとりこになった。
ある時、自宅に山ほど書類を持ち帰る上司を見て「人知るや 川柳飲み会 ジャズライブ」と詠んだことがある。「私自身は酒や音楽を楽しんだり、人と語り合うのが好きだ。この楽しみをご存じないか」と。
また、時には江戸川柳を便利遣いしたこともある。会議で目標未達成の理由を見事にうまく説明する部下に、「そういうのを“歌ばかり よくてさっぱり 始まらず”というんや」と、江戸川柳が思わず口をついた。
この句は、素晴らしい恋の歌を詠んだ女流歌人・小野小町に、恋が成就したとの逸話がないのはなぜかと、江戸の人々が色っぽくからかった艶笑(えんしょう)句。野村氏は「本人が理解できたのなら、角が立たないたしなめ方だったのではないか」と振り返る。
毎晩、就寝前に江戸川柳の句集「誹風柳多留(はいふうやなぎだる)」などを読んでいるが、腑に落ちない句も多いという。江戸川柳には歴史や文学の豊富な知識が盛り込まれているうえ、独特の約束事があるため、現代人の理解が及ばないことも少なくない。それだけに「すぐに解説書に頼らず、自分で考え抜いて答えが見つかったときの喜びはたまらない」と、江戸時代の市井の句作者との“知恵比べ”に目を輝かせる。
会社の若手や部下、社外の人と、江戸川柳の謎掛け・講釈などの問答を交わすうちに、15年ほど前から同好の輪が広がり、のめり込む仲間も出てきた。
「知ったかぶりの悪い癖だった。最初に問答を吹っかけられた部下らはさぞ迷惑だったろう」と照れながら、人情味あふれる江戸川柳の本旨そのままに、今もメール問答が続いている。(伊豆丸亮)
【用語解説】誹風柳多留 江戸川柳の代表的な句集で近世庶民文学の華ともいわれる。江戸中期から幕末まで167編が刊行。評者や序文に十返舎一九や葛飾北斎が名を連ね、高い文化性を持ちながら、当時の生活風俗がわかる重要な資料だ。
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